河童アオミドロは緑色

河童アオミドロの緑色妄想解脱断捨離中道生活ブログ

日常生活での問題点

右の腰近くにプレートとボルト5本が入っており、左脇には手術の傷跡があるせいか、右にも左にも寝返りができない。水平に仰向けに寝ると胸が圧迫されるのか咳が出やすいので、病院ではベッドの背を起こして寝ていたが、家では布団なので背中を起こして寝れない。介護ベッドなど導入不可能なので、そこで、色々考えた結果、角度の変えられる座椅子を買って枕の代わりに布団の上に置き背中を支えることにした。最近やっと水平に寝られるようになった。

夜間、頻尿と口が渇くようになった。治療とか薬の副作用なのか、単に老化しただけなのか、口が渇くのは口呼吸がクセになったせいのか、不明だが、これでは長距離の移動が出来ない。

階段を普通に上り下りできないので左足を軸にして半歩ずつ1段進むという状態である、これでは階段しかない駅などではめちゃ遅くなる。部屋がエレベーター無しの階段での4階というのが地獄である。

手術時に少し神経が切れたようで神経障害とやらで腹筋が突っ張っているので深呼吸がしにくい。骨折と肺活量低下で二重苦である。

片足だけで立つ練習と軽いスクワットのような運動で体の機能はマシになってきてるようだが、まともに動けるまで何か月か何年かかるやら。

まあ突然10年くらい老化したと考えて生活するしか仕方なさそうな。

 

012 退院と現状

排出される液体の色が薄くなってきて量が減ってくると、チューブを1本ずつ抜いていき、この時も逆流しないように息を吐きながらタイミングを合わせてチューブを抜いたり、細かい注意点がありました。

チューブが1本ずつ抜けるごとにアンドロイドから人間になるような解放感があります。

結局、退院しましたが、病気は治ったようですが、足も痛い、脇腹の傷口も痛い、咳も出やすい、喉も違和感がある、寝返りできない、息が切れやすい、腹筋が突っ張る、等が残りました。

どこまでが健康で、どこからが病気というのは元々はっきりしないものです。

しかし、退院時の血液検査の数値を見ると12月頃に比べて素人でも気づくほど数値が何倍も違っていて、普通の医者なら12月の時点で数値が異常だと気付いたと思うのですが、もしかして、入院前から数値が悪かったので、その数値が通常値だと思われていたのか。

とにかく食事の質と量と運動量が健康を左右するのは間違いないです。

(2023年2月)

しかし、入院生活のあらすじだけ書いたので、エピソードも笑いのポイントも何も無いような。まあ単純な記録ということにしておこう。

011 また全身麻酔される

胸腔鏡手術では脇腹に3か所小さな切れ目を入れ、中央のファイバースコープで見ながら、両側の切れ目から器具を使って、肺の外側の空間にある液体を掻き出すとのことでした。

またもやたくさんの承諾書のたぐいに署名しましたが、たぶん、医療裁判とかを避けるためなのだと思います。お医者さんの言葉使いも慎重なようで「手術には良い面と悪い面があります」とか、けっして「症状が必ず良くなります」とは言わず、客観的事実しか言わないところがすごいです。

もはや慣れてしまった全身麻酔で意識を失い数時間後に目が覚めました。

1本だった太いチューブが2本に増えて背中と脇腹から出ていて、例のごとく、ちんぽこに排尿チューブが入り、口に酸素マスク、点滴が3つくらい、胸に電線、の状態でICUに居ました。

ICUは手術後の急変を監視されながら、ひたすら朝を待つ場所です。

救急病棟とICUは同室にどんな患者さんがいるかで大違いで、今回は痛みで叫び続けている患者さんや異常に大きなイビキの人が居たので全く眠れず、右足骨折、左側に太いチューブで寝返りも全く出来ずトラウマ級のストレスでした。

お金があれば個室を選べるのかもしれませんが。

入院というのは病気に疲れる以上に、病院生活そのものに疲れるのかもしれません。

4人部屋に移りましたが、病院ごとに個性がありますが、ここの病院が同室の患者さんにも問題のある人が無く、看護師さんがみなさん極端な差が無かった気がします。

そして、それから2週間ほど、チューブが抜けるようになるまで、タンクと点滴を乗せたスタンドを引きずりながら骨折中の足でトイレと検査室の往復をしていたのでした。

だんだんブログの内容が薄くなってきてるような。

(2023年2月)

 

010 いきなり緊急病棟に入れられる

紹介状とレントゲンデータを提出して呼吸器外科の朝一番の診察を待っていると、診察無しに「入院になりますので上の階に上がってください」と言われ、予測していたので、入院お出かけセットを入れたバックパックを背負って看護師さんについていきました。緊急病棟(緊急入院患者用)という場所で血液検査とレントゲンの結果を見て、

「炎症と白血球の数値が高く、アルブミンと赤血球が少ない、肝臓の数値も悪い、左肺に胸水が溜まって肺が小さくなって真っ白」肺炎と栄養不良からの「膿胸」だと結論が出ました。

「まず呼吸器内科としては脇腹を切って胸水を排出します」といきなり言われ、

「しゅ、手術ですか?!」

「今、この場で切ります」

なんと麻酔の注射を脇腹にブスっと刺すと、メスでさくっと切り、太いホースのようなものを差し込んだようです。四角いタンクにルビー色の液体が出てきたので

「ま、ま、真っ赤ですね」

(胸水自体は薄黄色の透明な液体らしい)

「切りましたからね、血液が出てます、こりゃあかんな」

的な会話があり

胸水が長期間滞留していたので内部で固まりかけているらしく

「内科の処理では無理なので、外科と交代して全身麻酔で胸腔鏡(内視鏡)手術します」

と言われました。

もはや、自分の悪い場所は骨折だったのか肺炎だったのかわけがわからなくなりました。

手術の日が決まるまでの数日排出チューブを付けたまま、点滴を続けていました。

またもや、胸に電線も付けて、体を動かせない状態に逆戻りしたのでした。

緊急病棟はICU(集中治療室)よりは一般病室に近いようでしたが、正式な病室が決まるまでの仮の部屋のようでした。

確かここで2回ほど心臓が止まりかけたらしく医者と看護師の集団が走ってきましたが、1回目は心拍数が一瞬40以下になったらしく、2回目はモニターの電池切れだったので、特に致命的ではありませんでした。

しかし、すごい事に数日で咳や熱がどんどん下がってきて楽になってきました。

というか、1か月前に誰か診断できんかったんか。

(2023年1月)

 

009 一旦退院

いきなり松葉杖で駅を歩いたり電車に乗れるはずも無く、タクシーで自宅まで帰りましたが、松葉杖で階段で4階まで上がり、二か月間無人だった部屋に入るというのは無茶苦茶重労働で、突然の入院だったので冷蔵庫の中身は全滅、ベランダも全滅していました。食料品も無く、幸い今の時代はアマゾンという強力な通販があるので食料品の「置き配」で4階まで持ってきてくれるので助かりました。

ここからが大問題で、咳と熱のある人間を一般の開業医がみてくれるのかという事です。当時コロナ流行の再燃で「風邪症状のある方診察おことわりします」という医院が多く、電話で「PCR数回して陰性で、血液データもあり、おそらく肺炎だと思います」とかなり必死で説明して、診察待ちの患者さんが全員終わった後に別入り口から入りレントゲンを撮りましたが、開口一番「即入院が必要な状態です」と言われました。

お医者さんは、この状態でよく動けているなあと半ばあきれていました。

なんと「肺炎で左肺が真っ白で水が溜まっている」らしいのでした。

「うちのクリニックでは無理なので大きな病院を紹介する」と紹介状とレントゲン写真をもらいました。

翌朝、紹介された病院にタクシーで行くと「うちでは入院治療できない」と拒否され、別の病院を紹介され、またタクシーで行くとそこではレントゲン写真を見たとたん「うちでは無理です」と、なんと診察費も請求されずに断られました。窓口での話を総合すると、

「通常の肺炎は一般の内科や呼吸器内科で薬で治療できるが、この状態は呼吸器外科に行かないといけない」らしいのでした。

グーグルマップで探しても「呼吸器外科」の開業医は少ないようで、大病院は基本的に紹介状が無いと行けないようで、やっと翌日、またもやタクシーで呼吸器外科の開業医に行きました。そこでは入院治療はやっておらず、しかし「〇〇病院の先生に話をつなげたので明日朝一番に診察できます」との事で即入院前提のようでした。

退院してからすでに一週間近く経過しており、今考えると自力で動いていたのがありえへん状態だったようです。

そこで気づいたのは「○○病院て去年、皮膚がんの手術をした病院やないか」で、最初からここの病院を紹介してくれたら済んだはずなのですが、治療科目によってお医者さん同士のネットワークがそれぞれ違うのかもしれません。

(2023年1月)

 

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